出雲祥鳳行政書士事務所

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 (2025年12月公開予定)

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  〜coming soon

C島根の歴史と文化              




* 島根県の歴史・文化

島根県の県としての歴史については、下記をご参照ください。
『島根県ホームページ』 
https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/seisaku/koho/profile/aramasi.html


島根県の歴史は、ロマンに溢れています。当記事のF神様の国・島根にも記載があるように、島根県には
飾らないけれど、きらめく輝きをまとう歴史・文化があるようです。

* 島根県は王国だったのか

王国という名前が付いていたかどうかは知りませんが、島根県には西暦0〜200年前後頃までに、国が形作られていたようです。地元の人の話しでも、素戔嗚の神様(当時は生身の人間であったと考えられています)、そしてその後の大国主の神様を中心に、人々の暮らしが豊かになるようにという様な治世がなされていた模様です。そのことは、現代に姿を表す数々の発見からも伺われます。

『出雲観光ガイド』(荒神谷遺跡)
・・・二千年の眠りから覚めた出雲王国の証
https://izumo-kankou.gr.jp/1696


邪馬台国の所在地が何処であるかも、ロマンを纏っています。九州北部説や畿内説と共に出雲説があります。

邪馬台国には、卑弥呼という通称の女王があったとされています。中国の古門書によれば、清楚で綺麗な女性であったらしいです。いわゆる亀卜のような卜占を扱い、その時代はシャーマン政治があったとされています。これは私の私見ですが、この卑弥呼女王は神嫁であると自認していたらしく、その相手の神様が誰なのかということを、私が調べてみたのですが、大物主大神かもしれないと考えます。大物主大神というのは、大神神社の祭神であり、その始まりは、出雲大社のムスビの御神像にある波の上に光っている金色の玉、これが大神来場を示している様です。その大物主大神自身が、『私を三輪山に祀れ』と伝えたとのことです。

大物主大神は、そして三輪山伝説等の伝説になる大神ですが、それらのエピソードを見ると妻問婚も実際に自ら足を運んでいる話しが多いことから、卜占や鬼道(降霊・霊視の様なもの?)を扱うという点にフォーカスされている卑弥呼さんとタイプが違うのではないかという点はありそうです。でも、倭迹迹日百襲姫命のエピソードにおいては、やはり当該神嫁は卜占を行っていたとのことで、生身の人間である女性を妻とする神様の例が少ないことから、またその様な形態によって国政的なまつりごとを行うという点は主だった逸話の全てに共通していますので、そう想像する次第です。

卑弥呼さんについては、神嫁であるためという理由で表立った外出・社交的なことを控えていたのではないかという風に言われています。霊感の強い方だったでしょうからその方がご自身的に良かったのか、それとも神様の意向が強かったのか。

魏志倭人伝の伝えより、西暦150〜250年頃が、その卑弥呼女王の時代であったと推定されています。大国主
大神の同様の推定年が西暦0〜100年前後、素戔嗚神はそれよりも前で、紀元前でしょうか。書物によって、その系譜がだいぶ前後するような印象もある様ですが、その時代の事柄がはっきりと特定しがたいのは、やはり西暦600年代に出雲王国を滅ぼした勢力が権力を得て、その後の紀記の編纂や歴史の記録を握ったためもあるのだろうかと考えたりもします。

柿本人麻呂は、石見国の国司であった頃に万葉集で有名な歌を詠み、教科書的な出版物にも間違った意味で掲載される様ですが、有名な歌はこうです。

”東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ”

これは、石見から見て東が炎で赤く染まり、振り返ると月が沈みそうだという、要するに明け方だったという歌です。石見と出雲は近いと言えば近いものの、でもそれほど間近では無いので、空が暗い時間でないとそこにある炎は確認できないのではないかと思われます。この旧暦10月10日が王国滅亡の日とする説があり、その日は現代の神迎祭の時期に重なっているようです。これが、どうして神在月のイベント(行事)は、年によって日時が違ってくるのかなという答えであるようです。


* 近現代の文化

八雲とセツの思い出の地ということで、ばけバスが運行されています。鉄道では、数々の興味深い列車が運行されていて、旅を一層豊かにしてくれます。是非、みなさまもお越しの際には、それらに触れてみてください。

ひとことに島根県の文化と言っても幅が広く、俄かに掴み切れないと思います。他のページでも、その一端をご紹介していきたいと思います。

首都圏のような賑やかさはありませんが、島根県の人々もマメに暮らしているようです。真面目で、私の目からするとわりと器用な人も多いので、優れた品が開発されてあったり、丁寧な作業で作られた確かな物に出会えたりします。